国指定重要文化財「小岩井農場施設」の紹介

本部事務所
明治36年(1903)建設。252.5m²(76.4坪)。
木造平屋建、望楼付、寄棟造、下見板張。
意匠的に注目されるのは玄関ポーチの円形の垂れ飾りがついた鼻隠しと、重厚な扉・窓枠・窓台等。当初は周辺の樹木が小さく、望楼部分から農場全体を見渡すことができた。詩人の宮澤賢治が作品中に「本部の気取った建物…」と詠っている。

本部第一倉庫
明治41年(1908)建設。118.2m²(35.7坪)。
木造平屋建、切妻造、下見板張。
本部の倉庫として建設され、主として備蓄品等の保管庫として現在まで用いられている。明治40年以前の台帳に「本部倉庫45坪」と記されており、明治41年に「本部第一号倉庫35.75坪」の表記が現れることから、明治41年の建築と考えられる。

本部第二倉庫
明治31年(1898)年以前建設。132.2m²(40坪)。
木造平屋建、切妻造、下見板張り。
井上勝から岩崎久彌へ農場が引き継がれた際の明治31年の台帳に記載があるため、それ以前の建設と推測される。農場内では数少ない和小屋組の建築で、古い形状が残る。大正4年、本部隣接地に移築し修繕。現在も倉庫として使用している。

乗馬厩
昭和11年(1936)建設。320.6m²(97坪)。
木造二階建、切妻造、下見板張。
乗馬用や馬車曳用の馬を飼養した。一階は馬房、二階は餌や敷料の倉庫として使用。明治38年建設の旧乗馬厩の古材を利用して建てられた。昭和40年代になり、自動車を導入したことから乗用馬を廃止。現在は、倉庫として使用している。

倶楽部
大正3年(1914)建設。633.0m²(191.6坪)。
木造平屋建、寄棟造、下見板張。
来客の応接・宿泊用、従業員の集会施設として建設。当初は明治32年建設で、大正3年に現在地へ移築した際、大規模に改修・増築。昭和2年にも大規模改修。使用目的により部屋ごとに多様な造りとなっている。現在は主に会議室として使用。

四階倉庫
大正5年(1916)建設。515.6m²(156坪)。
木造四階建、切妻造、下見板張。
家畜の飼料用穀物を乾燥・貯蔵するための倉庫。内部にエレベーターが設置されており、搬入時に四階へ上げ、階下へ降ろしながら分別し、貯蔵した。当時の場長が欧州視察の際目にした倉庫をモデルに建設。現在は主に一階を倉庫として使用。

旧耕耘部倉庫
明治38年(1905)建設。324.3m²(98.1坪)。
木造平屋建、切妻造、下見板張。
耕耘部の倉庫として建設。飼料倉庫、乾燥庫として使用。大正10年、トロ馬車で飼料の運搬がしやすいよう、四階倉庫の位置に合わせて曳家。二階を撤去し大型の機械類を設置。建物内にトロッコ軌道を引き込んだ。現在も倉庫として使用。

玉蜀黍小屋(四棟)
- ①
- 昭和4年(1929)建設。99.2m²(30坪)。木造平屋建、竪格子、切妻造。
- ②
- 明治末頃建設。73.6m²(22.3坪)。木造平屋建、横格子、切妻造。
- ③
- 大正5年(1916)移築。80.3m²(24.3坪)。木造平屋建、竪格子、切妻造。
- ④
- 大正5年(1916)移築。78.6m²(23.8坪)。木造平屋建、竪格子、切妻造。
家畜飼料用トウモロコシの乾燥・貯蔵庫として建設。②③④は建築年不詳。大正5年、四階倉庫の建設予定地に建っていたため、現在地へ移築されたと伝わる。②のみ解体して建て直した痕跡(釘穴)がある。現在は木材乾燥用に使用している。

一号牛舎
昭和9年(1934)建設。478.5m²(226.4坪)。
木造二階建、切妻造、下見板張。
一階は搾乳牛用の牛舎、二階は乾牧草の倉庫。当時、場主であった岩崎久彌の命により「30年後でも恥ずかしくない牛舎を」と建てられた、当時最新鋭のスタンチョン式牛舎。他の牛舎と屋根の傾斜が違い、雪が落ちやすいようにできている。

二号牛舎
明治41年(1908)建設。522.2m²(158坪)
木造二階建、切妻造、下見板張。
一階は分娩用の牛舎。出産を控えた乾乳牛(出産前で搾乳を休んでいる牛)の飼育、分娩用。病畜用牛舎として建設され、大正8年に現在地へ移築し分娩用に。もともとは土間であったが、コンクリート敷に改築している。農場内で最古の牛舎。

三号牛舎
昭和10年(1935)建設。1,184.1m²(358.2坪)。
木造二階建、切妻造、下見板張。
一階は子牛用の牛舎。明治時代に建設した旧一号・旧三号牛舎の材を使用して建設。子牛は月齢ごとに群管理で飼養するためそれぞれ管理の仕方が異なり、かつては種牡牛の飼育用にも使用していたため、内部は多様な飼育室に分かれている。

四号牛舎
明治41年(1908)建設。692.6m²(209.5坪)。
木造二階建、切妻造、下見板張。
一階は搾乳牛用の牛舎。パイプラインミルカー、バーンクリーナー等の設備を導入、昭和62年に産室を撤去し搾乳専用に改築した。二階部分の柱には建築時の手斧(ちょうな)の削り跡が残る。板張のサイロ(内部はコンクリート製)が特徴的。

種牡牛舎
大正6年(1917)建設。249.2m²(75.4坪)。
木造二階建、切妻造、下見板張。
一階は種牡牛用牛舎。屋根に2基の換気塔と1個の屋根窓がある。内部は6つの房に別れ、個別に飼養できる仕組みになっていた。種牡牛は体格が大きく力も強いため、柵は鉄製(後補、当初は松材)となっている。現在は使用していない。

旧育牛部倉庫
明治31年(1898)年以前建設。158.6m²(48坪)。
木造平屋建、切妻造、下見板張り。
井上勝から岩崎久彌へ農場が引き継がれた際の明治31年の台帳に記載があるため、それ以前の建設と推測される。農場内では数少ない和小屋組の建築で、古い形状が残る。本部第二倉庫と同期の建築。現在も倉庫として使用している。

秤量剪蹄室
昭和11年(1936)移築。35.5m²(10.8坪)。
木造平屋建、切妻造、竪板張。
牛の体重測定、削蹄場として建設。外壁の形状など、場内の他の建築と異なった特徴がある。台帳では昭和11年建設とされるが、社内報には「移築」と記述があり、別の場所で使用されていたものを移した可能性もある。昭和40年頃まで使用。

一号サイロ 二号サイロ
- ①
- 明治40年(1907)建設。25.2m²(7.6坪)。
- ②
- 明治41年(1908)建設。26.7m²(8.1坪)。
レンガ造。青草を食べさせることができない冬場の家畜の飼料を確保するため、「サイレージ」という発酵飼料を作る施設。崩落防止のため下部を補強しているが、かつては基部までレンガだった。現存する日本最古のサイロといわれる。

天然冷蔵庫
明治38年(1905)建設。242.2m²(73.3坪)。
レンガ造。小山を掘って作られた掘り抜き貯蔵庫。電気のない時代、製乳所(現在の乳業工場)の附属設備として、主に乳製品の冷蔵に使用。夏場はバターが溶けるのを防ぐため、庫内で瓶詰め作業を行った。1952(昭和27)年まで本格的に使用。